ムクの木

澤蔵司稲荷 シンボリック

江戸名所図会「無量山境内大絵図」でも描かれているとおり
現存する「椋の木」は江戸時代も傳通院本坊から澤蔵司稲荷へ続く参道の途中に存在していました。
絵図によると「椋の木」の周りには「お茶屋」も有り無量山内の シンボリックな信仰の対象と同時に木の周辺は憩いの場にも なっていたようです。
明治20年頃、東京府により道路整備、拡張の工事が行われ現在のように道路の真ん中に出てしまいました。
平成元年頃まではまさに「椋の木」をはさんで左右共に車の通行が出来ました。

残念ながら昭和20年5月25日の空襲での火災で上部が焼け、危険なため昭和30年代に2/3ほど幹が伐採されて しまいました。